西江辰郎(4)2008/07/30 10:42

仙台フィルのみんなは元気かな?しばらくあってない・・・。

今年は仙台で9月にジュゼッペとのリサイタル、仙台フィルの野草園にも行きます!

たのしみです。



今年のせんくらでの演目について。今年はすべて違う曲でのプログラム。ちょっと欲張りすぎで、自分の力量を超えている!?かもしれませんが、

決めちゃったのでやるしかない。

是非聴きにいらしてくださいね!



ヴィターリ:シャコンヌ



言わずと知れた名曲。ヴァリエーションをどう関連づけて持っていくか、どう発展させて感動に結びつく精神を持続させていくかが鍵となるであろう曲です。

・・・・・・なんて書いていたら、ヤベー!と思えてきたのでこれ以上よしときます。(汗)



ヒンデミット:ヴァイオリン・ソナタ 変ホ調


パウル・ヒンデミット(Paul Hindemith)は1895年11月16日、フランクフルト近郊のハーナウという所で生まれた。あらゆる楽器のための曲を書き、ヴァイオリンとヴィオラの名手であり、ピアノを巧みに奏したほか、オーケストラの楽器をほぼ全部使いこなせ、音楽学者、丸頭の中に膨大な音楽知識を蓄えていた。

塗装業を営む音楽好きの父は、フランクフルト近郊を転々とし、1902年から市内で商売を始める。商売は上手くいかず、両親は宗教上の理由からも不仲だったという。

9歳から正式にヴァイオリンを習い始める。すでにピアノトリオなどの作曲を手がけており、音楽院入学までに器楽曲15曲、歌曲を20曲近く書いている。1915年レープナー弦楽四重奏団のヴァイオリン奏者となる。ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を独奏し絶賛を浴び、戦時中の同年にフランクフルト歌劇場管弦楽団のコンサートマスターに抜擢される。1916年ごろに父が戦死。本人は大戦末期の17年に召集されるが、軍楽隊に編入され一命を取りとめる。19年除隊後、レープナー弦楽四重奏団のヴィオラを担当、歌劇場のコンサートマスターにも復帰。6月に、初の自作演奏会を開く。兵役中に作曲した弦楽四重奏曲ヘ短調作品10などを披露。注目を集める。1920年代のドイツの音楽界におけるヒンデミットは、ロシア音楽界におけるプロコフィエフのようだった。最新型の強烈な不協和音を含む“無調”に近い音楽をつくった。その鋭く、無作法でさえある作品は彼を20年代の「恐るべき子供」にした。R.シュトラウスが彼に対し、「何故君はこのような書き方をするんだい?才能があるというのに」といったのは有名らしいが、これに対しヒンデミットが「教授閣下、閣下は閣下の音楽を作られ、私は私の音楽を作るんであります」といったというのは面白い。ヴァイオリンソナタ変ホ調 作品11第1番は1918年にかかれ、19年に初演されているが、ヒンデミットについて書かれた文献があまりに見当たらないために、この曲の解説を書くに当たって参考資料がみつからなかった。色々なことが推測や想像でしかないが、この曲には戦争の影響が多大にあると、私は思う。第1楽章父の戦死、自らの第1次世界大戦への招集、またこの楽章が英雄の調性である、Esを基に書かれていて、曲が金管楽器のファンファーレ的に始まるところも、そう思わされる要因だ。場面は変わり、悲しみつつ救済を求めるモノローグのような旋律が現れ、音型の上昇と転調と共に希望が見えるものの、あくまでも一時的に友人と楽しい思い出話をしたのだったり、物事を一時的に楽天的に考えてみたような雰囲気。再び、不安になると、ピアノの8分音符の連打による“危険”が迫ってくる。2つのアクセントからなる砲撃の音とも取れるモティーフも現れる。クレッシェンドと共に曲は盛り上がりをみせ、迫りくる危険から転びながらも走り、逃げ、岩陰に隠れると、すぐ先の岩陰に人の足がみえる。同じく砲撃から逃げてきた仲間だろうか・・・ 勇気をもって恐る恐る近づくと!!ああ、友よ、死んでいる!突き刺すような胸の痛み!一瞬、脳裏に友人の笑顔が浮かぶものの、この世の恐ろしさ、人間の残酷さなどで頭が混乱し、嘆きながらも、平常心を保とうとし、友に対する永久の安息を祈る。そこではラッパが鳴り、戦勝を祝う声もきこえる。第2楽章はるか遠くで鐘が鳴っている。「3拍子で厳かな舞曲」との表記があるが、楽章を通じてこの最初のモティーフに支配されている。弱音機をつけたヴァイオリンが今の自分の心の状態(疲れている、落ち着いた、今目に映っているものは何の影響力もなく、目の中に焼きついてしまったことを闇に置き換えてしまっているような)を表すような、旋律を奏でる。・・・・・・・そして深呼吸顔をゆっくりとあげ、あたりに目をやるとそこには灰色の世界が広がっている。やさしさ、ぬくもり、願い、愛情、いろいろな感情が連想されるが、自分の呼吸の音を意識するうちに再び鐘の音・・・・・・・心の状態・・・・そして深呼吸自分を奮い立たせ、もっと力強く元気に歩もうとする。さらに力強く。気分が乗ってきた。現実が夢だったように思えてきた。自分の思いがめぐる中、いつからか鐘の音を連想してしまう。そうだ。さっきからずっと鳴っていた・・・鐘が鳴っている。疲れている、落ち着いた、いま目に映っているものは・・・そして・・・そうだ・・・・・・・・・・もう眠ろう・・僕も・・・生涯最後の息吹・・・・・。鐘の音・・・・ヒンデミットの作曲家としての華々しいキャリアは第一次世界大戦後からで、先鋭的で実験主義的な作風で、音楽会に波紋を巻き起こした。1927年からはベルリン音楽大学で作曲を教え始め、1930年代に入ると、その作風は革新から円熟へと向かっていく。しかし、この頃からヒンデミットはユダヤ人だとする偽情報により、ナチスによる圧力がかかり、1938年にはスイスへ移住。1940年、彼はアメリカに渡り、イェール大学の教授となり、合衆国時代には<伝統的和声学(全二巻)>や<音楽家の基礎練習>といった著書も刊行されている。1953年にイェール大学を辞め、スイスのチューリッヒに住まいを移した。晩年はもっぱら指揮者として活動し、日本をはじめ世界各地を訪れた。1963年12月28日、彼の生まれ故郷の近くのフランクフルトで永眠。 シューベルト:ヴァイオリン・ソナタイ長調 D574ピアノの坂野さんが僕と一緒にこの曲を勉強してみたいと言ってくれて選曲した曲です。ホールに響きがないとこの曲の良さが伝わりにくいと思い、青年文化のコンサートホールでのプログラムに入れました。たゆたう感じがシューベルトらしい、優しさときらめきのあふれる曲です。三善晃:弦の星たちこの曲は僕が桐朋に通っていた頃、当時学長だった日本人作曲家の三善晃先生が書かれた曲で、おそらく曲名の意味するところは、自分の学校の「教え子たち」なのでしょう。まだ、先生にこの曲について伺うことが出来ていませんが、お会いして聴いてきたいと思います。とてもよく覚えていることは、「学長の先生のお話」ということで、学生の前で三善先生が自分の体験談をしてくださったときのことです。とても素晴らしい音楽を聴いたとき以上に惹き付けられました。言葉でのお話に感動する、という、初めての体験で、しかもそのときに感じた感覚はいまだその後一度もありません。それほど「お話」がうまく、先生の音楽そのもののようだったのだと思います。そのときの内容は戦争に関するものも沢山含まれていましたが、この曲を初めて聴いたとき、こころから「素晴らしい・・」と思いました。あえて言うなら、カール・アマデウス・ハルトマンの葬送協奏曲を聴いたような感じ。似ている箇所もありますが、それは音楽の時代背景なのかも知れません。とにかく、日本人でこのように素晴らしい曲を書かれる方がまだ存命中で、この曲を演奏する機会をあたえられたことは、僕にとってはとても光栄です。ということで、本来は弦楽オーケストラとソロヴァイオリンの為の曲なのですが、今回「せんくら2008」でも演奏させて頂くにあたり、ピアノとヴァイオリン用のリダクションをある方にお頼みしました。どういった感じになるかまだ解りませんが、リダクション版は「せんくら」が日本初演となります。僕の演奏を聴かないまでも、この曲はとても聴く価値のあるものです。はい。そのとおり。まったく。うん。いやいや。なんの。これしき。演奏するのは、むつかしーです。ブラームス:ヴァイオリンソナタ第3番よく言われるように、晩年のブラームスが古典的な作品として書いたのか、あるいはこのときハンガリーのジプシーの演奏を身近に聴いているのでその影響も強いのか、どうアプローチするか模索中とにかくすばらしい曲です。

西江辰郎


これからの演奏会
 9/3     西江辰郎&ジュゼッペアンダローロデュオリサイタル2008in Sendai
 9/20or21仙台フィル野草園
10/18    三善晃 作品展 I器楽・歌曲作品
12/5     神奈川リサイタル2009
 1/28    東京都庭園美術館リサイタル


西江辰郎http://homepage3.nifty.com/nishie-tatsuo/

新日本フィルハーモニー交響楽団http://www.njp.or.jp/njp/index02.html